第12回「学生スポーツとコンプライアンス」
2019年(令和元年)
9月16日
立命館大学
衣笠キャンパス
以学館
「組織と人格の形成」
小山 正辰 立命館大学空手道部総監督
今、空手道部はその名称の後ろに「新生」と付いています。新生と付いて5年になるのですけど、10数年間空手道部がなくなった時代がありました。新生という名前をつけていただいて、また体育会の一員に加えていただいたという経緯があります。
私が入学したころ、この講演会が開催されている以学館の入り口付近に空手部が新入生勧誘のボックスを作っていました。そこへ私が自転車で来て、「入れていただきますか」と言ったのが空手部に入部した時のことです。その頃髪の毛は長くて、「こんなやつが空手部に来たのか」と思われたと思います。しかも高校時代は私は野球部だったのです。皆さんの中で大学に入って初めてその競技を始めたという人いますか? 空手はメジャーなスポーツではなく、初心者が多いのです。私も初心者でした。これが私の以学館の思い出です。
(スクリーンの)写真は、全日本大学選手権の準決勝です。左が現役時代の私です。対戦相手は同じ立命館大学のコダマ君です。これに私が勝ってこの後の決勝も勝ちました。コダマ君も三位決定戦で勝ちました。この時の部員はこの2人でした。1つの道場、フロアの中で一緒にやっている学生が切磋琢磨して行くと、こんなチャンスもあったのです。皆さんにお伝えできるとしたら、自分のライバルはまず自分なのです。回りにみんながいてくれると思ってください。そこから受けた刺激とはどれだけ大事なものか、それだけ貴重なものかということも、この一枚の写真が証明してくれていると思います。
私の後ろに写っている審判ですけど、この人も立命館大学の第1回の学生チャンピオンです。私は第18回だったのです。そういう一つの場所で先輩から後輩へ伝えていくものというのは大学の体育会の良さです。時に厳しいこともいっぱい出てくるけれども、そういうものは、馬淵さんがおっしゃったように、自分の中で消化して、挑戦して乗り越えて行った時に必ずつかめます。それは皆さん本人の意志、気持ちです。
私は今日は東京から来ました。なぜ東京へ行っていたかというと、明治大学と昭和15年から80年間続いている定期戦に行っていました。違う大学の同期が何十年たって相まみえお酒を飲んでいます。皆さんもそういう機会を得るでしょう。これを是非自分の糧にしていただきたいというのが一番の願いです。
1982年の世界空手選手権にて男子形の部で優勝しました。空手は来年の東京オリンピックの種目になるのですけど、ちょうど私が現役のころになってたら、私もオリンピック選手でした。優勝候補第一番でした。ちょっと自慢しています。一番チャンスがあったのが1988年の幻の「名古屋オリンピック」です。オリンピック開催地が名古屋であれば空手が種目に入る予定でしたが、ソウルになりテコンドーとなってしまいました。
その時に世界の中で考えたことは、自分たちは何をやらなければならないのか。選手としてコーチとして何を伝えていくのか。自分を高めていく気持ちが挑戦していく気持ちになる。挑戦して自分がどんな風に変化していくか、変化していく時に友人である部員、先輩である選手が、どんな言葉であったりどんな表情であったりどんな練習方法やっているか。自分自身がこれをつかもうとする挑戦しようとする気持ちがあれば、結果がすぐに出てくるかどうかは別として必ず生きてきます。
アジアチームのコーチと同時に大学の監督をしていました。監督をしたりコーチをして指導した選手が、来年の東京オリンピックに、まず審判として、もう一人がおそらくコーチで出場します。女子の形競技ではこの前の大会で優勝した選手を指導しています。トップ選手を指導しながらその原点は何かというと、ここなんです。ここ立命館大学で培ったものを広い場所でどうやって発揮していくか、どういうチャンスを得ることができるかということを皆さんは知っていただきたいと思います。
今、森ノ宮医療大学というところでお仕事をさせていただいております。大阪大学でもお仕事をさせていただいています。何を教えているかというと教職です。もともとは体育教員だったのです。卒業して同期の体育会委員長だった者と一緒に体育の免許を取りに行きました。当時は立命館大学では取得できなかったので他へ取りに行きました。それから25年間教員をやっていました。
卒業する時に自分はどうあればいいのかと考えたのです。今皆さん1回生がこれからいろいろな競技をしていて、右肩上がりになる人もいるかもしれませんが、多くの人は波があるでしょう。そんなにスムーズに行かない。その時に支えになるのが、今横にいる同じ部員であったり、OB・OGの先輩方ということになるのです。それは皆さん一人一人の心にかかってくる。向上心であったり意欲であったり、それに自分がどう応えることができるかです。
25年間教員やってきました。管理職も12年間やってきました。教員というのは、生徒・学生に対してどうすれば自分の専門や人柄やを含めて、一人の人の心に響いていくことができるのかとうことを考えています。皆さんは来年後輩を迎えます。再来年になったら3年生になって部を引っ張る立場になります。4年生になったら就職に加速します。いろんな経験が毎年変化してくる。その中で自分はどうあるべきか。
私も教員をしていたた中で思い浮かべました。空手、スポーツ、体育会の経験、先輩の顔、同級生の顔、後輩の顔。あの時に自分はその学生とどんなやり取りをしたのか。一つ一つ思い浮かべました。
私が現役の時に試合をした明治大学の選手に、はっきりと覚えている選手がいます。私が4年生の時に1年生でした。多くの方が、先輩たちが忘れていることもいっぱいある。若い時に脳裏に刻まれたものは抜けない。18歳から22歳は一番大事な時で、いい出会いもあって結婚もできて、そういう大事な時期を大切にしてほしいと思います。
では、空手の話で皆さんに伝えておかなければならない話をです。ちょうど21世紀を迎える時に空手部が一度廃部になったのです。14年間、部の名前に「新生」が付くというところまでOBと歩みました。廃部となり同好会である時期にも部員が入ってきてくれました。その子たちが毎年しっかり練習しただけでなく、いい人間になってくれました。空手道部という組織は一回壊れているのです。「新生」というかたちで、大学であり体育会の皆さんから「もう一度頑張ってください」と言っていただきました。次に我々がやるのは、もちろん空手の世界で頑張ってくれればいいのだけれど、入ってきた人たちがどんな風になれるか。それを応援していきたいと思っています。
今年、空手の経験がない新入生が3人入部しました。素人です。でもこの子たちを何とかしたい。めちゃくちゃ一生懸命やります。汗だらだらになって、新しいことばっかり、それを彼らは吸収しようとしています。皆さんと同期です。また会う機会があれば、体育会主催の新入生向けの行事などの機会にまた話をしてやってください。
最後に、オリンピック種目になる空手というのは、競技の空手です。空手の技術というのは本当に多種多様です。人間の生身の体の中には361か所もの多くの急所があって、その部分を崩せば非常に打撃力が大きい。一突きでバタンと倒れるということもあるのです。でも、それを競技の世界に持ち込んでは駄目なんです。そういうことのないルールを作って、オリンピック種目にまで作り上げてききました。これをやり遂げたのは学生です。今のオリンピックにつながっている競技ルールを作ったのは、日本の学生なんです。全日本学生空手道選手権大会の第1回は1957年(昭和32年)、明治大学が優勝しました。第2回は立命館大学です。学生には新しいものを作っていく、自分たちが新しいものを作るのだというエネルギーがあります。練習方法だとかいろいろ工夫できると思います。先輩方としっかりお話をしてやっていただきたいと思います。
私が今もう一つやっているのは、中学校で必修で空手の授業をやる。これは明らかにスポーツではありません。競技ではないが競技の要素は中に入れる。楽しみながら空手をやる。基本は武道というものが持っている、伝統の中で正座をしたり、礼をしたり、黙想したり、一緒に稽古をしていただく相手は、リスペクトする存在なのだということをベースに指導しています。一つはオリンピック、一つは中学校の授業、それを小学校の授業にまで普及したいなと思っているのです。
それから覚えていただくのは最後に一つだけ。「空手に先手」なしという言葉です。1922年(大正11年)に船越義珍という沖縄の方が日本に空手を持ち込みました。それを後押ししたのが嘉納治五郎です。嘉納治五郎の素晴らしさはすごいですよ。日本オリンピック協会の前身を作ったのは嘉納治五郎です。船越義珍が「空手に先手なし」といいました。自分から攻撃することはない。それは形の中ではすべて受けてから始まってます。そういう理念が空手が人を育て、競技としても育ってきた部分ではないかと思っています。
皆さん一人一人の胸に「R」・「立命」と書いてある。立命館大学がこれから伸びていくためには、それを皆さんの誇りとして、この4年間を充実した時間にしてもらいたいです。その先に必ずあるものを充実できるように、工夫をして先輩あるいは同期の指導を受けながら、後輩を指導しながら4年間やってほしいと思います。
最後に、自分が育ったところ、自分のお父さんお母さん、そういうルーツについてもしっかり学んで、これから先も4年間大事にしてほしいと思います。
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